彼女の福音
拾漆 ― ボケボケ娘のミッション・インポッシブル ―
ミッションスタートですっ
私は今、智代さんと岡崎さんと芽衣ちゃんの後をつけています。目的は、可能な限り岡崎さんたちと杏ちゃんたちを引き離して、椋ちゃんに杏ちゃんの意中の人を見極めてもらうことです。
ちょっと岡崎さんたちには悪い気がします……特に智代さんには、結局はうまくいかなかったものの、三年のころに演劇部のことでいろいろと力になってくれましたし、岡崎さんはそもそも演劇部を復興する時にお手伝いしてもらいましたし、芽衣ちゃんとは大の仲良しですし……
何だか私、とても悪い子の気がします……
で、でもっ、椋ちゃんの占いによると、このままじゃ杏ちゃんがあまりにも惨めですっ!だから助けなきゃいけないですっ!だからここは心を鬼にして、三人を引き離さなくちゃいけませんっ!
渚、ファイトですっ!そうです、ここで気合いを入れていきましょうっ!
「ダンゴ大家族ッ!」
思わず大きな声が出てしまい、皆さんが私を見てます……失敗しました。
でも、お父さんや悠馬君と一緒にやった変装のおかげで、誰にもばれてません。咄嗟に水槽を見たので、岡崎さんたちとも視線を合わせなくて済みます。
「今の……なぁ?」
「うん、そうだな」
岡崎さんたちが頷いてます。でも、私に近づいてくる様子はありません。とりあえずセーフです。
それにしても、杏ちゃんの想い人ってどんな人なんでしょう。
椋ちゃんは「あまりかっこよくなくて、でもいい人で、時々すごくいいことを言って、真面目じゃない人」と言ってました。でも、杏ちゃん自身がカッコいいから、相対的にはかっこよくなくても、第三者から見ればかっこいいのかもしれません。
もしかすると、頭はいいのかもしれません。真面目じゃないけど、実は、という感じで。ひょっとすると、誰も知らないけど実は大学の講師だというオチが付いているかもしれません。いい人だから、励ましてくれたり、誰もが気付かないところで助けてくれたり、そばにいてくれたりするんでしょう。すごくいいことを言う、ですか。だとすると、やっぱりドラマチックなことを言うんでしょうね。「杏、世界は儚く虚しく、そしてお前はかくも美しい」とか。あ、ひょっとするとアマチュア劇団に入っているのかもしれません。
……
……
これって悠馬君ですっ!
あわわわ、実は杏ちゃんの恋の相手は、私の夫だったんでしょうかっ!
で、でも、その、悠馬君は、その、浮気なんてするような人じゃないですっ!そうですっ、悠馬君もしおちゃんも、ダンゴ大家族です!離れ離れになるようなことなんてないですっ!
ちょんちょん。
あ、岡崎さんたちが動き出したようです。任務続行です。
ちょんちょん。
それにしても、仲良いですよね、あのお二人。お父さんとお母さんや悠馬君みたいに開けっぴろげ且つダイナミックに愛を宣言していなくても、何と言いますか、静かな、でも確固たる絆が感じられます。少し、そういうのも羨ましいです。
「あの、渚さん、もうそろそろ気づいてくれないとへこみますよ?」
「え?えっ?ええええええええっ!?」
「しっ、大声出さない」
い、いつの間にか、芽衣ちゃんが私の目の前でにしし、と笑ってますっ!
「い、いつから気づいてたんですかっ!」
「水族館に入った時から」
「そ、そうだったんですか……え、えと、岡崎さんたちや杏ちゃんは」
「あ、大丈夫です。何も言ってません。そっちのほうが面白そうだから」
そうだったんですか……面白そうだという理由で、私の任務はかろうじて繋ぎ止められていたんですか。ショックです。
「まあでも渚さんの変装はすごいですけど」
「本当ですかっ」
「岡崎さんも智代さんも、うすうすと感づいているかもしれないけど、まだ見つけられないって感じでした」
「で、でも何で芽衣ちゃんはわかったんですか」
すると芽衣ちゃんは「ちっちっち」と指を振りました。
「私、前におうちにお邪魔させていただいたときに、渚さんの七変化は見せてもらいましたから」
忘れてましたっ!
ええそうです、スパイのくせに相手側に情報が駄々漏れのまま、「変装はうまくいってますっ!えへへ」と得意になってました。惨めですね、滑稽ですよね。笑えばいいと思います。いっそ笑っちゃってくださいっ!あーはっはっは。
「で、何でこんなことしてるんですか?」
「……実は」
「……というわけだったんです」
芽衣ちゃんはそれを聞くと、悩ましげに私を見たり周りを見たりしていました。
「どうかしましたか?」
「え、えと、杏さんに想い人ですか……あはは」
なぜか苦笑する芽衣ちゃん。何かあったんでしょうか。
「それより、要は岡崎さんと智代さんを杏さんから引き離してしまえばいいんですね」
「そうなんです」
「でも、二人とも戻る気はなさそうですよ?」
やっぱりお二人とも気を利かせてくれるいい人たちですっ!さすがに一人でその愛しの方と会うのは杏ちゃんでも心もとないので春原さんは残ったんでしょう。いいないいな、友情っていいな。
「いや、むしろ岡崎さんたちも二人だけの世界に逃避行してます」
ちらっとみると、岡崎さん、智代さんの背中に片腕回してます。智代さんも岡崎さんの肩に頭乗せてます。何だかとっても大人の恋愛ですっ!
「渚さんのほうがあの二人よりいろいろ経験してるんだと思うけどなぁ」
「うーん……その、悠馬君とは、その、あんな落ち着いた感じじゃなかったです」
「そうですか……あ」
不意に芽衣ちゃんがぽん、と手を叩いた。
「いい方法が思いつきました」
「いい方法?」
「はい。これで、少なくとも杏さんたちからは智代さんたちの気を引くことができます」
くいくい、と芽衣ちゃんが私に耳を貸せと仕草しました。
「な、何ですか」
「ごにょごにょごにょ……」
数秒後
「え、えっ、えええええええええ!!」
背後で雷がピカッと光りました。
「そ、そんなこと、できません……だって、そんなことしたら、悪いです……」
「いいんですよ。だって杏さんのためだし」
「う……」
「大変ですよねぇ、杏さんも。お仕事の場では出会いなんてなさそうだし」
「うう……」
「もうそろそろ三十路ですよね?これから厳しくなるなぁ」
「ううう……」
「そこに颯爽と現れる白馬の王子様!」
びし、とサタデーナイトフィーバーのポーズを決める芽衣ちゃん。
「ねぇねぇ、君、藤林杏っていうのかい?綺麗だね」
「そ、そんな、私綺麗じゃないですっ」
「……渚さん、杏さんになりきってください」
え?あ、演技だったんですね。びっくりしました。
「え、えと、ありがとうございます」
「僕と付き合ってみないかい?人生バラ色だよ?さあ、結婚しちゃおう」
「え?で、でも、結婚なんて」
「いいからいいから。君のウェディングドレス、見てみたいんだ」
「そ、そうですか。じゃあ……」
差し出された手を握りました。すると
「しかぁし!」
「わっ!びっくりしました」
「擦れ違いが苛立ちに変わり、諍いや口論の絶えないお茶の間。そしてとうとう杏さんのところに見知らぬ女の人が」
「誰なんですか?」
「あ、こんにちは。杏さんですか?私、あなたの旦那の赤ちゃん、お腹にいるんです。責任とってくれませんか」
「ええええええええっ!」
「そして初めて知る浮気のこと。破局を迎える二人。杏さんの心には、大きな傷が残り、そして杏さんは一生男性不信に」
だ、だめですっ!杏ちゃんはそんな悲しいことになっちゃいけませんっ!
「ま、お兄ちゃんに限ってそんなことできないとはおもうけど……」
「え?」
芽衣ちゃんが今何かぼそっと呟きました。
「あはは、何でもないです。とにかく、レッツだゴー!です!」
二人の話し声が聞こえます。
「すごいなっ!こんな形の魚は、本でしか見たことないぞ」
「そうだな……いやでもさ、さっきのでかいのには驚いた」
「うん、そうだな」
「……すげえはしゃいでるな、お前」
「……いけないか?朋也と久しぶりのデートみたいな感じだったんだ」
「智代……」
「朋也……」
いきなり入っていきづらい雰囲気ですっ!で、でも、水槽の陰に隠れている芽衣ちゃんは、「行けイケゴーゴー」とサインを送ってます。
「……人に見られてるぞ」
「……そうだな。続きは帰ってからにしよう」
「……馬鹿」
どんな続きでしょうかっ!すごく気になりますっ!
「あ、あの、岡崎さんっ!」
「ん?ああ、古河」
……あれ?勇気を振り絞って私登場だったのに、あまり驚かれないです。
「その、な、古河さん。あまり差し出がましいことは言いたくないが、尾行をする時、大きな声を出すのは良くないと思う」
「はうっ!」
「あと、対象がこっちに気づいたとき、あからさまに視線を逸らすのはちょっとバレバレだな」
「あわわ」
「まあ、何となくみょうちくりんな変装をしている椋と風子ちゃんが一緒だった時点で、思い当たる節はあったわけだが」
……
……いっそ段ボールを被っていた方が良かったかもしれないです。悠馬君も「潜入に段ボールの箱は欠かせないな」と言ってました。
「で、どうしたんだ古河さん?」
「え、あ、その……」
私は意を決して、岡崎さんに向きなおって言いました。
「岡崎さんっ!あ、あのっ!あの夜は楽しかったですっ!」
智代さんが固まってしまいました。岡崎さんもしどろもどろになって答えます。
「あ、あああのあのののあのあの夜?」
「そ、そうですっ!で、できればまた楽しみたいですっ!」
「古河さん」
ゆらぁ、と智代さんが動きました。涼しい水族館内だったけど、なおさら空気が冷たく感じられます。というより、ピリピリしていて、結構痛いですっ!
「その話、もう少し詳しく聞かせてもらえないか」
「え、あ、その、岡崎さんまた後でっ!」
駈け出しましたっ!本能があそこにいてはいけないと告げてましたっ!
「逃がすかっ!」
たん、という甲高い音とともに、智代さんが追ってきます。私は芽衣ちゃんの所まで行くと、手を取って言いました。
「芽衣ちゃんっ!逃げましょう!」
「え?どうしたんですかなぎ……きゃああっ!」
恐らく智代さんが見えたんでしょう、芽衣ちゃんも必死に走りだしました。
こう見えても、走るのは得意なんです。お父さんとお母さんがあんな感じですから。時々二人を追いかけなきゃいけない時もありましたし。
「芽衣、ちゃん、こうやって、智代さんを、あの二人から、引き離すんです、ね?」
「いや、これ、全然、計算外……」
不意に芽衣ちゃんが消えました。視界の片隅で、芽衣ちゃんが地面に伏して(転んだんでしょうか)智代さんにつかまるのが見えました。
「ほう……芽衣ちゃんも一枚噛んでいたのか。いけない子だな。まあちょうどいい、私と後でお話をしよう」
「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
あ、珍しく芽衣ちゃんの「ひぃい」が聞こえました。
何て呑気なことは言ってられませんっ!智代さんの速度からして、逃げ切れない気がします。だとしたら、せめて死ぬ前に、杏ちゃんに伝言をっ!
「ふふふ、逃げろ逃げろ逃げろ。そして思い知るがいい」
振り返っちゃいけませんっ!で、でも目だけ動かせば……
霞みゆく景色の中で、色の薄い、流れるような髪が見えました。どこかフルメタルな高校の用務員のおじさんを彷彿させますっ!
「絶望という二文字の味をっ!」
見なきゃよかったですっ!
運のいいことに、杏ちゃんに会うことはできました。待ち合わせの人はまだ来てないようでした。
「きょ、杏ちゃん、あ、あまり、時間がないんで、簡潔に言いますっ!」
息を整えてから、私は言いました。
「今、杏ちゃんの好きな人、付き合わない方がいいですっ!椋ちゃんが占ったら、大変な結果になりましたっ!」
「へ?好きな人?」
「ばばばばばか言ってんじゃないわよっ!いないわよそんなのっ!」
一瞬後、杏ちゃんが真っ赤になって言いました。それはそれで可愛かったんですが、それにしてももしかしたら私たちはとんだ勘違いをしてたんでしょうか。
「そ、そうなんですかっ!それはよかったですっ!とにかく、これで椋ちゃんも一安心ですっ!」
うん、本当に良かったです。言いたいことは全部言えました。私、やればできる子だったんですね。
「それじゃあ、ここらへんで」
もう、言い残すことはありません。楽しい人生でした。
「ここらへんで?」
「お別れです」
案の定、むんず、と服をつかまれ、そのまま持ち上げられてしまいました。
「ふふふふふ、やっとまた会えたな、古河さん……」
こんにちは智代さん。いい天気ですね。
「む、すまない、話の途中で割り込んでしまったようだな。気にしないで続けてくれ」
「え、ええ」
「さてと。古河さんと芽衣ちゃん、さっきの話、もう少し詳しく聞かせてもらおうか」
「え、えと、智代さん、これには深いわけが……」
私がそういうと、芽衣ちゃんも意識を取り戻して弁解を始めた。
「そ、そうなんですよ、あははは、それこそマリアナ海峡よりも深―い理由が……」
「うむ、じっくり聞かせてもらおう。さあ行こうじゃないか」
でもそれは、智代さんの南極よりも冷たい言葉で封じられました。これを無駄な抵抗というんですねわかります。
「全く、開いた口がふさがらない」
ふぅ、と智代さんはため息をつくと、アイスティーを一口飲みました。
「悪かったとは思います……で、でもっ、杏ちゃんの一大事でしたからっ!」
「ああ、そうだったな……芽衣ちゃん?」
「うみゅ〜」
口でストローをピコピコしていた芽衣ちゃんが反応しました。ちなみに芽衣ちゃんが飲んだのはオレンジジュース、私はどろり濃厚ピーチ味を頂いてます。なぜか岡崎さんのおごりだそうです。戻ってきたら、岡崎さんが何もなかったかのように「お、お帰り。お疲れ」とすでに飲み物を注文していました。すみませんっ
「おふざけにも程があるぞ。私と朋也の仲を危うくするような冗談はやめてもらいたい」
「ごめんなさい……」
「そもそも、今の古河さんの言葉で杏が妙な気になったらどうするんだ?あれでも一応芽衣ちゃんのお兄さんじゃないか」
「はい……」
「兄の幸福を祝福こそすれ、ちゃちゃを入れてはだめじゃないか」
「あ、あの」
どうしても気になったので、聞いてみました。
「智代さんのお話からすると、杏ちゃんの相手が春原さんに聞こえるんですけど」
すると、智代さんと岡崎さんは顔を合わせて、芽衣ちゃんに聞きました。
「なんだ、まだ言ってなかったのか?」
「えっと、その……」
「ま、俺にしても信じられないような話だからな。急に言ってもいいのかってのはあるかもな」
「え?」
智代さんが私に向きなおりました。
「いいか、古河さん。よおく聞いてほしい」
「はい」
「藤林杏」
「はい」
「春原陽平」
「はい」
「片思い」
「はい……え?」
ななななんだってぇええええええっ!
「だから、杏は春原に片思いをしている、ということなんだ」
「ほ、ほんとですかっ!」
「俺たちだって冗談かと思ったけどさ」
そこで岡崎さんはふっと笑いました。
「けど?」
「そんなんだってありなんじゃないか」
「あり、ですか」
「大体さ、傍から見たらありえないコンビって言ったら、最初の俺たちだってどっこいどっこいだったからな」
今は全然そうはみえませんけど、確かに高校生だったころは、岡崎さんと智代さんのことをいろいろ言う人もいっぱいいました。
「それに、杏はあいつと一緒にいると楽しい、と言ってた」
智代さんが言葉を継ぎました。
「そういうのは大事なんじゃないか。春原には、そういうところがある。いたら楽しい、それは確かにあるな」
その言葉を聞いて、少し納得しました。確かに、春原さんがいるとなんだか楽しいです。それに、二人ともよく一緒に何かやったりしてて、言われてみれば仲もよさそうです。
「それにお兄ちゃん、馬鹿なことばっかりやるけど、悪い人じゃないですから。もしかすると、杏さんが一緒だとしっかりするかもしれませんし」
「悪い奴じゃない、ってのは賛成だな。ほら、いるだろ、愛すべきバカって」
ま、ヘタレだけどな、と岡崎さんは付け足しました。